どうしようもならないことについて

41℃の湯船に2時間浸かり、表層の皮膚も奥側の脳もぶよぶよと醜くふやけている今の時間に、頭の中に溜まった文字を吐き出して頭のデトックスをしようと思う。

 

 

 

 

 

 

1.嗅覚の記憶について

 幼い頃に住んでいた土地は飲み屋街と田んぼと山と汚れた家屋が混在する所だった。

靴裏の擦り切れたクロックスで踏む地面には、酔客の吐瀉物と、なにか分からなくなった生き物の死骸、猥雑な紙片がいつもへばりついていた。

田舎の風景に釣り合っているのかいないのか、古びた飲み屋のネオンがいくつもあった。

朽ちたシャッターと枯れた観葉植物の群れが私の両のこめかみを睨んでいる。

雑然としていて、人が多くて、活気があるのに寂れていて、嫌いではないが、薄暗く侘しく恐ろしい町だった。

同じ地区だった友達(その時の私は歳が近くて一緒に遊ぶ人間の呼称を友達とするしかなかった)

の家に遊びに行くことが稀にあった。

彼女の家は大きなアパートで、薄汚く特徴的なオレンジ色をしていた。四方がくらい森で囲まれており、私はその家に向かう道中が恐ろしくてたまらなかった。

狭いエントランスから狭い階段をのぼり狭い玄関ドアを開けると、薄暗くて酸っぱく湿った部屋がある。

どんな時間に訪ねても薄暗く、どんよりと湿っていた。これは、彼女の部屋だけがそうなのではなく、この建物全体がそうだった。

というより、この町全てに、重ぬるく、湿った生臭い瘴気が立ち込めていた。

この町で暮らしていると、身体や髪の毛にその臭いが、空気がまとわりつき、洗っても洗っても取れないようだった。

 

断片的にしか思い出さないが、私の幼少の視覚の記憶は嗅覚の記憶と共にある。

異様に大きく見えた朱色の夕日が、薄緑色のキムチ屋の陰に沈んでいく時、金魚が死んだ後のような臭いがした。

祖父母の店の向かいの床屋で、髪切りのおばさんが古いどこか家族写真を見せてくれた時、不明瞭なセピアの写真と埃まみれのフェルトの表紙、おばちゃんが何かを呪うように、私の横で写真を見せながら呟く昔話、1人で暮らすのは寂しいと言ったおばちゃんのどこを見ているか分からない目を怖いと感じた時、灯油ストーブとポマードと紅茶の匂いがした。

意地悪をされて、学童保育にいきたくなくて、悔しくて泣きながら、誰も待っていない鍵の開いたままの真っ暗な自宅に向かう下校時の、どこかの家の夕食の臭い。

転校生の悪口をみんなと一緒になって捲し立てた日の夜に、布団の中で嗅いだ自分の手のひらの饐えた臭い。

 

嗅覚の記憶は何かを思い出すことのトリガーになっている。

脳が忘れていた記憶を嗅覚は覚えている。

全く関係のない場所で、全く関係のないシチュエーションで、同じ臭いを嗅いだ時。髪を掴まれて引きずり出されるように出てくる記憶は忌まわしい。とてつもなく不愉快で鼻の付け根がむかむかする。

私は、自分の昔の話が大嫌いで、実際今の自分には必要のない事で。

しかし、いくら脳みそが忘れようと頑張っても、嗅覚が覚えている。

あ〜今も本当に嫌な気分になってきた。めっちゃ嫌な気分だ。最悪だ。こんなの文字に起こさなきゃ良かった。書いてて最悪な気分だしきっと読み返しても最悪な気分になるんだ。

生まれついた町の、あの饐えた臭いが、ずっと私を暗い考え事に縛り付けて離さない。

 

 

 

 

 

 

 

2.どうしようもならないときについて

結構な頻度で、本当にどうしようもなくなるときがある。特定の嫌なことがあった訳ではなく、急にどうしようもなくなる時がある。

そういう時は、学生の時も今もかわらず、ヴ〜と唸りながら自室の布団の中か、部屋の隅に直進する。

布団の中で丸くなって、できるだけ自分が存在している範囲を小さくして、吐くまで泣いてもっと小さく丸まってそのまま気絶と同じ要領で眠る。※1

この時は何も考えずにただただ身体を縮こませて嗚咽すればいいから楽ちんだった。

1番嫌な時間は起き上がったあとで、頭が冴えてくる時間だ。

結局何を言いたいか分からなくなるまでとめどなく思考が溢れてきて、口に出てこないまま脳内で氾濫する。

吃音の時と同じような感覚で気持ちが悪くて最悪の気分で、どうやっても寝付けなくなる。

絶え間なく思考しているのに、身体がそれを表現するのを拒絶するとき、"どうしようもならなく"なる。

人といる時にこれのプチバージョンが起こると困る。

すごく困るのに、結構な頻度で訪れる。1人でなる時とは違う"どうしようもならない"だが、困ることには変わりなくて、でもどうしようもならないからどうしようもなくて。

何故こういう状態になってしまうのかをしっかり考えて、ある程度の答えをだすべきではあるのだと思う。

でもきっと脳が起こしているなにかどうしようもないバグだから、これは本当にどうしようもならない。

だからせめて、思考が氾濫した時はこうやって文字に起こそうと思う。昔はノートに書いていた時期もあったが、見返すとなにかの呪詛みたいで怖かったのでやめた。

日記の感覚で、どうしようもならなくなったらこうやってタイピングをしようと思う。

それから、※1を挟まずに急に思考だけが氾濫する時も多い。これが1番困る。

授業中でも仕事中でも関係なくこれはやってくるので、本当にどうしようもない。

頭が中は考えている事でいっぱいなのにそれを排出する器官は口というひとつしかない。

脳と口の間の謎の空間に、脳から漏斗で注ぎ込まれた大量の"思考"が渋滞する。

口から出ていかなかった分の思考は負債として爆発するまで残り続ける。

これはそもそもの吃音症ともちょっと関係してるかもしれないがここは自分の中でもっと考える必要がある重要なことなので答えを急ぐつもりはまだない。

またこうやって文章に起こしているのに頭が渋滞してきた。考えている量に指が追いつかない。自分の思考量に口も脳も指も追いつかない。

ガチで病気なんじゃないか?マジでなんかのさ。本当に助けてください。